国立科学博物館 企画展
「貝類展:人はなぜ貝に魅せられるのか」
レポート開催期間:2024/11/26(火)~2025年3月2(日)
約600種の貝類標本を通して貝の魅力に迫る!
東京・上野の国立科学博物館にて、企画展「貝類展:人はなぜ貝に魅せられるのか」(~2025年3月2日)が開催。貝類を中心とした大規模展示は今回41年ぶり。
貝類(軟体動物)は、知られているだけでも10万種存在する無脊椎動物の大きなグループ。その形態は多様で、巻貝や二枚貝はもちろん、イカやタコといった貝殻を持たない仲間も含まれます。貝類は、古くから人類と深くかかわり、先史には食料として利用され、道具や装飾品の素材としても活用されてきました。また、その美しい形や色彩、規則的な模様は、人々を惹きつけまてやまみません。 また、貝殻には海や水辺の記憶を呼び起こす力があり、一見神秘的な魅力も感じさせます。

本展では、貝類の進化や多様性を紐解きながら、日本を中心とした人類との関わりの歴史に焦点を当てられ、貝が持つ独特の魅力とは何か、そしてなぜ古代から現代に至るまで人々を惹きつけ続けるのか。本企画展を通じて、貝という身近な存在に秘められた奥深い世界がわかる企画展になっています。

展示の合間に著名人の貝に関する名言とオブジェが展示されています。「なるほど」と思えるのでぜひ探してください。



貝類に特有の器官 歯舌
軟体動物の中でも、見た目が大きく異なるグループが存在します。それらには共通する特徴があり。その中でも特に重要なのが「歯舌」と呼ばれる摂食器官。歯舌は口の中にあり、クチクラ質の細長い膜の上に小さな歯が規則的に並んだ構造をしています。この器官をやすりのように使い、食物を削り取るように摂取する。ただし、二枚貝の仲間は、プランクトンなどを濾し取って食べるろ過食に適応したため、歯舌を持たないのが特徴。

貝に似た生物について
軟体動物以外にも、貝のように石灰質の殻を持つ生物が存在します。しかし、これらは体の構造が大きく異なるため、分類上は別のグループに属します。例えば、カメノテの仲間はエビやカニと同じ節足動物に分類され、ホウズキチョウチンガイは腕足動物に含まれます。また、ウニの仲間も硬い殻を持ちますが、これらは棘皮動物に分類されます。このように、石灰質の殻を持っているからといって、必ずしも貝の仲間とは限らないと解説されています。

貝の進化と系統
本展示の冒頭では、すべての生物が共通の祖先から進化したことを示す古代の系統樹が紹介されています。軟体動物の進化史は現在も研究が進められており、その分類体系は変化を続けています。化石記録によれば、軟体動物は約5億4,000万年前のカンブリア紀初期に出現し、その後短期間で急速に多様化し、現存する8つのグループもこの時期に分岐したと考えられています。2024年現在、現生の軟体動物は、大きく有殻類と無殻類の2つのグループに分類されています。

最大の貝・最小の貝
軟体動物は、そのサイズにおいても驚くべき多様性を示します。貝殻を持たない頭足類の中では、ダイオウイカが最大で、腕を含めた全長が最大で17メートルに達します。一方、貝殻を持つ二枚貝では、オオシャコガイが最大種で、殻長は最大で137センチメートルに達する記録があります。対照的に、最小の巻貝として知られるミジンワダチガイは、殻の直径が約0.5ミリメートルと非常に小さく、拡大鏡でなければその姿を確認することが難しいほどです。

各章の中に人とのかかわりを絵やオブジェを使い展示されている。この章では「ジョン・ギブソン(1887) 「想像上のクラーケン」 が展示。クラーケンは、北欧の伝承に登場する巨大な海の怪物であり、特に18世紀以降の航海記や文学でしばしば取り上げられています。ダイオウイカを連想させ航海時代からの関係性を想起させられる。


第1章では、地球上に10万種以上存在するとされる軟体動物の多様性について探求します。これらの生物は、体の構造、生息環境、生態、貝殻の形態など、多くの面で顕著な多様性を示しています。中には、進化の過程で貝殻を失った種も存在します。本章では、まず軟体動物全体の概要を示し、次に多様性とその要因をさまざまな角度から考察します。分類の多様性を学んだ後は、生息環境や貝殻形態の多様性、貝殻を持たない選択などの展示が続きます。これらを通じて、各種の特徴がどのようにして獲得されたのかを理解することができます。
現生8綱の関係: 貝殻の獲得と進化
現生の軟体動物は、大きく8つの綱に分類されます。各綱はさらに細かく分類され、ここでは「上科」ごとに代表的な種を紹介されています。興味深いことに、異なる分類群でありながら、類似した形態を持つ種が存在し、これは「収斂」と呼ばれる現象です。この現象も、軟体動物の多様性を理解する上で重要な特徴の一つです。
軟体動物8つの綱(グループ)
現生の軟体動物は、大きく8つの綱(グループ)に分類されます。以下に、それぞれの綱とその特徴的な種を紹介します。


1. 尾腔綱(びこうこう)
- 特徴: 体表が炭酸カルシウムを含む微細な骨針で覆われています。小型で、海底の砂中に生息し、退化した足と体の後部に鰓を持ちます。

2. 溝腹綱(こうふくこう)
- 特徴: 腹面に溝があり、その中の襞状の足で移動します。主に刺胞動物を捕食し、小型から10センチメートルを超える種まで存在します。
3. 多板綱(たはんこう)
- 特徴: 楕円形で扁平な体の背面に8枚の殻板が並びます。頭部は明確でなく、背面に光を感知する小さな器官を持ちます。岩などの固い基盤に付着して生活します。
4. 単板綱(たんばんこう)
- 特徴: 深海に生息し、巻貝のカサガイに似た形状ですが、内臓に繰り返し構造を持ちます。現生種は数十種が知られています。
5. 掘足綱(くっそくこう)
- 特徴: 前後に細長い筒状の体で、両端が開いています。砂底に生息し、後端から足を伸ばして砂を掘り、頭部の触手で餌を摂取します。

6.二枚貝綱(にまいがいこう)
- 特徴: 左右対称の二枚の貝殻を持ち、背部のヒンジで連結されています。鰓を使って海水中の餌を濾過し、歯舌を持ちません。






7.頭足綱(とうそくこう)
- 特徴: オウムガイのように外部に貝殻を持つ種や、イカやタコのように貝殻が退化した種がいます。基本的に8本の腕と、種によっては2本の触腕を持ち、貝殻は内在または消失しています。


8.腹足綱(ふくそくこう)
- 特徴: 最も多様性に富むグループで、らせん状の殻を持つものが多く、腹部が足として機能します。巻貝やカタツムリ、ウミウシやナメクジなど、貝殻を持たない種も含まれます。







これらの分類群は、形態や生態において多様性を示し、進化の過程で類似した形態を持つ種が異なる分類群に現れる「収斂(しゅうれん)」と呼ばれる現象も見られます。
貝類の多様性
捕食者から食べられないための適応
沖縄などの温暖な海岸を歩くと、本州の海岸とは異なる形状の貝類が多く見られます。特に、殻口周辺が厚くなったり、突起を持つものが目立ちます。これは、これらの海域に貝殻を破壊して捕食する甲殻類や魚類が多く生息しており、貝類が捕食者から身を守るために進化した結果と考えられます。捕食者から逃れるための適応が、多様な形態への進化を促進しているのです。


イワサキセダカヘビと陸貝
陸上でも捕食と被食の関係が存在します。巻貝には右巻きと左巻きがありますが、地球上の巻貝の約9割は右巻きです。カタツムリの仲間では、右巻きの割合がやや低くなります。ニッポンマイマイ属のカタツムリの大部分は右巻きですが、南西諸島南部には左巻きの種が限られた範囲で分布しています。この地域には、右巻きのカタツムリを主に捕食するイワサキセダカヘビが生息しており、左巻きのカタツムリはこのヘビからの捕食を逃れるために進化したと考えられています。実際、イワサキセダカヘビは右巻きのカタツムリを捕食する際、効率的に捕食できますが、左巻きの個体を捕食する際には時間がかかり、成功率も低下することが研究で示されています。


安定化
貝類の中には、長い棘を持つ種がさまざまなグループで見られます。棘を持つことの利点として、捕食者からの攻撃を防ぐ役割が考えられますが、他にも柔らかい海底で貝殻を安定させ、埋もれにくくする効果も推測されています。実際、長い棘を持つ種は砂底や泥底に生息する傾向があります。化石種の中には、現生種では見られない長い棘を持つものも存在します。

色彩の多様性
貝殻は色彩においても多様性を持っています。例えば、食用とされるヒオウギは、同種内で黄色や紫、オレンジなど多様な色彩を示します。また、海外のカタツムリの仲間には、人工的に着色されたかのような鮮やかな色彩を持つものも存在します。巻貝のタカラガイ類やイモガイ類も多彩な模様が特徴ですが、その機能的な意味についてはまだ多くの謎が残されています。

多様な環境に適応した貝類
貝類は地球上の多様な環境に適応し、海洋から淡水、さらには陸上まで広く分布しています。特に海洋では、浅瀬から深海、極地まで生息域を広げ、海中や海面を漂う種も存在します。二枚貝や巻貝の中には淡水域に生息するものもあり、巻貝の一部は陸上生活に進出しています。さらに、他の動物に寄生する種も多く、特にハナゴウナ科の巻貝は棘皮動物に多様な形で寄生しています。ここからは多様な環境に適応し順応してきた貝類についての解説。
ハナゴウナ科の寄生様態
ハナゴウナ科の種は、生態的に自由生活をするものから、宿主の体表に付着するもの、体内に深く入り込むものまで、さまざまな寄生形態を示します。貝殻の形態も細長いものから丸いもの、さらには宿主内で貝殻を失ったものまで多様です。これらの種の進化過程は完全には解明されていませんが、同じ棘皮動物の綱に寄生する種同士は、寄生様態や形態が異なっていても近縁である可能性が高いとされています。

寄生:ハナゴウナ科の多様化
貝類の中には、他の動物に寄生して生活するものもいます。例えば、ウロコガイ科の二枚貝は甲殻類などに、トウガタガイ科の巻貝は他の貝類やゴカイ類に寄生します。特にハナゴウナ科の巻貝は、すべての種が棘皮動物の5つの綱のいずれかに多様な方法で寄生することで知られています。

極限の海洋環境
深海や極地などの過酷な環境は、多くの生物にとって生息や繁殖が困難です。しかし、これらの環境にも一定数の貝類が生息しています。厳しい条件下は、適応した種にとって捕食者が少ない安全な生息地となり得ます。ここでは、超深海(日本海溝)や南極に生息する貝類を紹介。



陸上進出
海洋で誕生し、多様な進化を遂げた貝類の中で、陸上生活に適応したのは巻貝の一部です。代表的なのはカタツムリの仲間(有肺類)ですが、巻貝は進化の過程で複数回にわたり独立して陸上に進出しています。完全に陸上生活を営む種もいれば、まだ海との関係を保つ種も存在し展示されています。



貝殻を持たない選択
貝類は進化の中で堅固な外骨格としての貝殻を獲得しましたが、一部のグループでは貝殻を退化させる方向に進化しました。貝殻は防御に有用ですが、形成には多くのエネルギーを要し、迅速な移動の妨げとなることもあります。貝殻の退化は、タコやイカなどの頭足類や一部の巻貝で見られ、これらの活動的なグループでは、利点と欠点を天秤にかけ、より有利な方向へ進化しています。

頭足類の進化
頭足類は、アンモナイトやオウムガイのように、もともと貝殻を持つ生物として進化しました。オウムガイは現在も螺旋状の貝殻を保持していますが、アンモナイトと共通の祖先から分岐した現生のタコやイカの仲間では、貝殻が退化しています。コウイカ類は体内に舟形の殻を持ち、他のイカ類では半透明の軟甲となっています。タコ類では貝殻は消失していますが、アオイガイの雌は卵を保護するために腕から二次的に石灰質の殻を分泌します。

ナメクジ化
巻貝の中にも、貝殻が退化したグループが存在します。代表的なのは海産のウミウシ類や陸上のナメクジ類です。他にも、ベッコウタマガイ類は貝殻が外套膜に完全に覆われ、一見ウミウシのように見えます。石の下や隙間環境に適応したハチジョウチチカケガイや、浮遊生活をするハダカゾウクラゲなど、完全に貝殻を失った種も存在します。



縄文時代の貝と人々
日本列島では、縄文時代に多くの貝塚が形成されました。これらの貝塚は、食料としての貝類の消費跡であると同時に、埋葬の場としても利用されました。貝殻が土壌の酸性度を中和し、人骨や動物骨の保存に寄与したと考えられています。例えば、大森貝塚は縄文時代後期から晩期(約紀元前2400年~紀元前300年)の遺跡であり、貝類や魚類、獣骨、陶器、石器、人骨などが出土しています。

彦崎貝塚の出土品
岡山市に位置する彦崎貝塚は、縄文時代前期から晩期にかけての遺物が堆積しています。ここからは、海産、淡水産、陸産の多様な貝類が出土しており、ハイガイ、マガキ、アカニシ、ヘナタリなどが多く見られます。また、貝製品や貝輪の製作が行われていた痕跡も確認され、約30体の縄文人の人骨も発見されています。

モースと大森貝塚
1877年、アメリカの動物学者エドワード・S・モースは、横浜から東京への列車移動中に大森貝塚を発見しました。彼は日本で初めて学術的な発掘調査を行い、多くの考古学的資料を得ました。この調査は、日本の考古学の礎を築く重要な出来事となりました。

弥生時代の貝交易
弥生時代には、南方産の貝類を素材とした装身具、特に貝輪が珍重されました。これらの貝輪は、南西諸島から九州、さらに本州へと交易を通じて広がりました。特に、伊豆諸島から三浦半島に至る「東の貝の道」や、琉球列島から九州北部へと繋がる「西の貝の道」が存在し、これらの交易路を通じて貝製品が広範囲に流通していたと考えられます。
東の貝の道
三浦半島の海蝕洞窟遺跡からは、伊豆諸島産のオオツタノハを素材とした貝輪が出土しています。これらの遺跡は、伊豆諸島からの貝類が最初に陸揚げされた場所と考えられ、貝輪の最終加工も行われていました。このことから、三浦半島が「東の貝の道」の重要な拠点であったことが示唆されます。


西の貝の道—古代海上交易の足跡
弥生時代における海上交易の一端を担った「西の貝の道」に焦点を当て、北部九州と琉球列島を結んだ壮大な交易ネットワークを紹介します。
貝輪文化と遠距離交易
弥生時代の北部九州の人々は、特別な装飾品として琉球列島産の貝を加工した腕輪(貝輪)を好みました。これらの貝製品の需要に応えるため、当時の人々は約1,200キロメートルに及ぶ海上交易ルートを開拓し、琉球列島から貝殻を輸入していました。
交易の拠点—高橋貝塚
鹿児島県薩摩半島に位置する高橋貝塚は、産地である琉球列島と消費地の北部九州をつなぐ中継地として機能していたと考えられます。この遺跡からは、ゴホウラやイモガイを用いた貝輪の加工品が多数出土しており、当時の交易活動の様子を伝えています。
貝塚が語る暮らし
高橋貝塚では、装飾品の材料となる貝殻だけでなく、食料として利用されていた海産貝類の遺物も数多く見つかっています。これらの出土品は、弥生時代の人々の生活や食文化を知る上で重要な手がかりとなっています。
本展では、これらの発見をもとに、当時の人々の交流や技術、生活の様子を紐解いています。


近代以降の人と貝の関わり
近代以降、貝類は食材としてだけでなく、文化や産業の面でも重要な役割を果たしています。例えば、アワビ類の貝殻は螺鈿細工や貝ボタンの材料として利用され、チョウセンハマグリの殻は高級な碁石の白石として知られています。また、真珠の養殖技術が確立され、装飾品としての価値が高まりました。
食用や民間薬としての利用
現代でも、貝類は日本人の食生活において重要な位置を占めています。寿司のネタや家庭料理の食材として広く親しまれています。また、古くから民間薬としても利用され、その伝統は現在も続いています。


道具や装飾品としての利用
貝殻は、その美しい光沢や硬さから、道具や装飾品の素材として重宝されてきました。螺鈿細工や貝ボタン、碁石など、さまざまな製品に加工されています。特に、真珠は明治時代に養殖技術が確立され、現在では高級な装飾品として世界的に知られています。

真珠
真珠は、貝の外套膜に異物が入り込むことで形成されます。すべての貝が真珠を生成する可能性を持っていますが、特にアコヤガイやシロチョウガイが真珠の母貝として有名です。近年では、淡水産の二枚貝を利用した真珠の生産も増加しています。

貝と文化との関わり
貝類は、古代から人々にとって身近な存在であり、単なる食材や道具の素材にとどまらず、文化的な意味も持っています。平安時代に始まったとされる貝合わせは、その代表例の一つです。これは、二枚貝の殻が元の対になっていた片方としかぴったり合わないことを利用した遊びで、貴族の間で親しまれていました。
また、大型の巻貝を吹き鳴らして邪気を払う風習は、世界各地で見られます。さらに、貝が貨幣として使用されたり、貴重なものの象徴とされた例も多くあります。たとえば、『竹取物語』に登場する「燕の持ちたる子安の貝」は、その象徴的な例の一つといえるでしょう。

のしあわび(熨斗鮑)
慶事の際に贈答品に添えられる「熨斗(のし)」は、現在では紙製が一般的ですが、もともとはアワビを薄く削ぎ、伸ばして乾燥させた「熨斗鮑」がその由来です。特に伊勢神宮では、伝統的な製法で作られた熨斗鮑が「神宮御料鮑」として奉納されています。これは、月次祭や神嘗祭といった神事において重要な供え物とされています。

貝と人類の闘い
貝は人間に恩恵をもたらす一方で、時に害を及ぼす存在にもなります。たとえば、南アジアでは特定の貝類が水辺の生態系に悪影響を与え、人々の生活を脅かしています。また、木造船や海洋建築物が多く使われていた時代には、木材を侵食するフナクイムシが大きな問題となり、貝類研究者たちがその対策に取り組んできました。

フナクイムシ
フナクイムシは、細長い体を持つ二枚貝で、海中の木材に穴を開けながら生息します。彼らは木材を住処とするだけでなく、削った木くずをエサとしても利用する特徴を持っています。木造船や港湾施設の木材を脅かす存在として知られ、古くから人間との攻防が繰り広げられてきました。現在でも、海洋構造物を守るための対策が続けられています。

多様な貝類と人類の関わり
貝類は、人類にとって古来より重要な存在でした。食料としての利用はもちろん、貨幣、装飾品、宗教儀礼、さらには文化的な象徴としても活用されてきました。一方で、寄生虫の媒介や木材の侵食といった問題も引き起こし、人間は貝類と共存するためにさまざまな対策を講じてきました。貝類との関わりは単なる利用の枠を超え、人類の文化や歴史と深く結びついて知ることができます。
第三章 人類と貝類の深い関わり
貝に魅せられた人々 ~収集と研究の歴史~
貝殻の収集は、現代においても多くの人々を魅了し続けています。標本として保存しやすく、長期間その美しさを保つことができる貝類は、生物コレクションの代表的な対象の一つです。収集の目的はさまざまで、ある地域に生息する貝類を網羅的に集める人もいれば、特定の分類群にこだわる人もいます。
貝類の分類学は、こうした収集活動から発展してきました。熱心な収集家の手によって多くの標本が集められ、それが分類学的な研究の基盤となってきたのです。時には、新種の発見につながることもありました。幼少期から貝殻に親しみ、後に研究の道へ進んだ学者も少なくありません。
本章では、日本における貝類収集と研究の歴史を紹介し、貝類と人々の深いつながりに迫りに迫っています。

日本の貝類学を築いた六人の偉業
日本の貝類学の発展には、多くの研究者や収集家が関わってきました。本企画展では、その中でも特に重要な役割を果たした六人の日本人に焦点を当て、彼らの功績を研究標本などとともに紹介しています。

1.武蔵石壽(1766-1861) – 日本貝類学の基盤を築く
江戸時代、日本には西洋の分類学がまだ浸透していませんでしたが、武蔵石壽は本草学の観点から「目八譜」(1843)を著し、日本の貝類の整理を行いました。この書物には精緻な図が描かれ、それまで各地で使われていた名称を統一する役割を果たしました。現在の標準和名の礎となったものも多く、日本の貝類学の基盤を築いた重要な人物です。

2.平瀬與一郎(1859-1925) – 近代貝類学の先駆者
明治時代、日本人による本格的な分類学研究が始まりました。平瀬與一郎は、貝類の収集と研究に尽力し、各地に採集人を派遣しながら貝の博物館を開設しました。また、日本初の貝類専門誌「介類雑誌」を創刊し、研究の発展に大きく貢献しました。財政難により事業は中断しましたが、その研究標本は現在も残り、日本の貝類学の礎となっています。

3.黒田徳米(1886-1987) – 日本貝類学の基礎を確立
平瀬のもとで研究を続けた黒田徳米は、日本貝類学の基盤を築いた人物です。彼は日本貝類学会を創設し、学会誌「ヴィナス(現:Venus)」を発刊するなど、学問の発展に尽力しました。650以上の新種を記載し、日本の貝類研究に多大な影響を与えたことから、「貝類学界の牧野富太郎」とも称されています。

4.寺町昭文(1898-1978) – 貝類収集の第一人者
画家として活躍していた寺町昭文は、病気療養中に貝類の収集を始めました。その後、日本各地で独自の方法で標本を収集し、多くの新種を発見しました。学名に献名された種は33種、和名に名を残した種は24種にのぼり、日本の貝類収集において歴史的に重要な人物とされています。
5.吉良哲明(1888-1965) – 研究者と収集家の架け橋
吉良哲明は、学校教員としての職務の傍ら貝類の収集と研究を続けました。彼が発行したガリ版刷りの雑誌「夢絵」は、100号にわたり刊行され、研究者と収集家をつなぐ重要な役割を果たしました。また、日本初の本格的な貝類図鑑「原色日本貝類図鑑」を編纂し、後の研究にも大きな影響を与えました。

6.波部忠重(1916-2001) – 貝類研究の発展を推進
黒田徳米の後を継ぎ、日本の貝類研究をさらに推進したのが波部忠重です。京都大学で黒田に学び、九州大学を経て研究活動を続けました。彼は属名も含め1640以上の新しい名前を命名し、多くの論文や著書を執筆しました。吉良の図鑑の続編「続原色日本貝類図鑑」は、現在も貝類研究の必携書となっています。
本企画展では、これら六人の功績を紹介し、彼らの研究が積み重ねられたことで、現在の日本の貝類学が形作られていると紹介しています。
科博所蔵の代表的な個人コレクション
国立科学博物館の貝類コレクションは、明治時代初期から100年以上にわたって蓄積され、35万ロット以上に及びます。その中でも、個人の収集家が寄贈したコレクションは大きな役割を果たしており、それぞれ特色を持った標本群が含まれています。ここでは、その中から5つの代表的なコレクションを紹介します。

1.河村長助(1898-1993)
JCBの創設者として活躍する傍ら、1930年頃から日本各地で貝類の収集を精力的に行い、1万種以上・10万点を超える国内最大規模のコレクションを築きました。1983年、生前にすべての標本が当館に寄贈されました。

2. 櫻井欽一(1910-1993)
東京・神田の老舗鳥料理店の経営と並行して鉱物学の研究も進め、理学博士の学位を取得しました。日本産貝類の網羅的収集を目指し、6,000点以上の標本を集め、1994年に当館に寄贈されました。

3. 山村八重子(1899-1996)
大正から昭和にかけてフィリピンで貝や鳥類の採集を行い、「麗人科学者」と称されました。1928年にフィリピン産の貝類標本1,700点を寄贈し、さらに1999年には「八重子の会」を通じて22,000点以上の標本が追加で寄贈されました。

4.稲葉亭(1917-1983)
高校教員としての職務の傍ら、千葉県を中心に貝類の収集と研究を行いました。また、日本貝類学会の研究連絡誌「ちりぼたん」の編集にも携わり、標本には詳細なラベルと手作りの標本箱が添えられています

5. 金子一狼(1872-1965)
長崎の開業医として診療を行いながら、長崎県博物学会の中心メンバーとして活動し、広範な博物標本を収集しました。彼の貝類コレクションは、当時の雰囲気をそのまま残し、1999年に当館に寄贈されました。

本企画展では、これらのコレクションを通じて、貝類学の発展を支えた個人収集家の貢献についても紹介しています。彼らの情熱が築いた標本群は、現在も貴重な研究資料として活用されていることを知ることができます。
コレクターズアイテムとしての貝とダンスの50貝
貝類の中には、希少性や美しさによって高い人気を誇るものが存在します。特に珍しくかつ魅力的な貝は、コレクターズアイテムとしての価値が高まり、収集家の間で特別な関心を集めてきました。かつては流通が限られていたため、一部の希少種は世界でどれほどの個体が存在し、誰が所有しているのかが把握されていた時代もありました。

ダンスの50貝
ピーター・ダンスは、イギリスの貝類学者であり、大英博物館自然史部門に勤務しながら、一般向けの貝類書籍を執筆することでこの分野の普及に貢献しました。彼の著書『Rare Shells』(1969年)は、当時最も希少で人気の高かった50種類の貝を選び、図示・解説したものです。
50年以上の歳月が流れ、貝の流通や採集環境も変化しましたが、このリストに選ばれた貝は、依然として歴史的な価値を持ち、コレクターズアイテムとして特別な地位を保っています。本企画展では、海外の博物館の協力を得て、日本で初めて50種すべてを一堂に展示することが実現しました。これにより、希少貝の持つ魅力と、その時代背景をより深く知る機会を提供します。



貝の王道グループを探る
貝の収集家の中には、特定のグループに焦点を当ててコレクションを行う人が多くいます。その中でも特に人気のあるのが、オキナエビス科、タカラガイ科、イモガイ科の3つのグループです。もちろん、それ以外にもアッキガイ科やイタヤガイ科(二枚貝)など、多くの魅力的な貝が存在します。
近年、貝類の研究は高度な種分化や系統関係の解析へと進展していますが、一方で、在野の専門家による貢献も大きく、多くの分類学的な知見が彼らの手によって明らかにされています。本企画展では、そんな貝の王道とも言える3つのグループについて、その魅力と特徴を紹介します。

オキナエビス科:原始的な構造を持つ美しき巻貝
巻貝といえば、らせん状の貝殻を持つものが一般的ですが、オキナエビス科の貝類は左右対称の体の構造を保っているという特徴があります。そのため、神経系の構造も他の巻貝とは異なり、原始的な特徴を残していることで学術的に重要なグループとされています。
また、オキナエビス類は大型で美しい貝殻を持つことから、収集家の間でも非常に人気が高いグループです。特に、1969年に台湾で採集されたリュウグウオキナエビスの4個体目が、当時1万ドル(約360万円)で取引されたことは、世界中の貝愛好家を驚かせました。こうした希少種は、今もなお多くのコレクターの憧れの的となっています。


タカラガイ科:人類と深い関わりを持つ貝
タカラガイ科の貝は、その美しさと実用性から、人類との関わりが特に深い貝類のひとつです。
歴史的には、タカラガイは貨幣(貝貨)として利用されてきました。また、日本では安産のお守りとしても知られており、現在でも装飾品やアクセサリーの素材として親しまれています。さらに、近年ではビーチコーミングの人気ターゲットとして、多くの人々がタカラガイを探し求めています。
生きているタカラガイの特徴として、貝殻が外套膜(がいとうまく)と呼ばれる膜で完全に覆われていることが挙げられます。この構造によって、貝殻には独特の光沢が生まれ、幾重にも塗り重ねられた美しい模様が形成されるのです。特に深海に生息する大型種は、コレクターの間で高い人気を誇り、その希少性から非常に高値で取引されることもあります。

イモガイ科:美しさの裏に潜む猛毒
「美しいものには毒がある」という言葉がぴったりなのが、イモガイ科の貝類です。すべてのイモガイは肉食性であり、ゴカイや他の貝類、さらには魚まで捕食するという驚くべき習性を持っています。その際に使われるのが、強力な毒を含む特殊な歯(毒銛)です。
当館の常設展示(地球館1階「地球の多様な生きものたち」)では、イモガイの食性について詳しく紹介するコーナーも設けています。イモガイの仲間の中には、「ダンスの50貝」に登場するウミノサカエイモのように、伝説が残る種も存在します。
また、イモガイの貝殻は多彩な模様を持ち、収集家の間でも非常に人気があります。特に日本で人気のある種は、一見すると地味ながらも奥深い魅力を持つものが多く、こうした好みの傾向は日本人の美意識を反映しているとも言えるでしょう。

ここでは、オキナエビス科、タカラガイ科、イモガイ科という、貝の世界でも特に人気の高い3つのグループを紹介しました。それぞれに独自の進化の歴史と特徴があり、学術的にもコレクションの対象としても非常に魅力的な貝たちです。
収集から研究へ 貝類研究の実際
日本の誇る研究技術
日本では古くから貝類の利用が進み、先史時代から「肉抜き」と呼ばれる技術が発達していました。これは茹でた貝から軟体部を取り出し、貝殻を標本として保存する方法であり、現代の貝類研究でも活用されています。この日本独自の技術は、現在では海外でも「Niku-nuki」として知られています。


化石のクリーニング
化石の研究では、周囲の岩石を取り除くクリーニング作業が重要です。手作業による除去だけでなく、化学薬品や最新のCTスキャンを用いた非破壊的な方法も取り入れられています。本企画展では、化石クリーニングの工程を再現し、研究者の技術を間近で体験できる展示を行っています。

標本作製から新種記載まで
貝類の分類には、貝殻だけでなく軟体部や遺伝子解析が欠かせません。標本作製から新種の記載までの過程を紹介し、研究者がどのように分類を進めるのかを解説しています。

新種記載の実例
本企画展では、新種記載のプロセスを理解するための具体的な例として、ブラジル沖の鯨骨群集から発見された巻貝を紹介しています。この巻貝は、貝殻の形態だけでは従来の分類体系に当てはめることが困難でした。しかし、遺伝子解析を行った結果、既知の属であるRubyspiraと関連することが明らかになりました。
さらに、軟体部の構造や歯舌、蓋の形態を詳細に調査した結果、この巻貝がRubyspira属に属することが裏付けられました。この研究は、形態観察だけではなく、遺伝子解析を組み合わせることで、より正確な分類が可能になることを示す好例です。
貝類との未来を考える
貝類は、古代から私たちの暮らしと深く関わってきました。しかし、環境の変化や人間活動の影響により、その関係性も大きく変わりつつあります。貝類の生息環境は失われつつあり、食文化や研究の面でも変化が生じています。
本企画展の第4章では、「貝類と人類のこれから」をテーマに、現在の状況と未来への展望について考察しています。

人と貝の関わりの変化
人類と貝類の関係が深い理由のひとつは、生息域の近さにあります。特に干潟や沿岸部は、貝類にとっての重要な生息地であると同時に、人々が古くから食料を得る場所でもありました。しかし、現代では都市開発や環境変化により、かつて豊かだった干潟が減少しています。その影響で、市場に並ぶ貝の多くが外国産に置き換わり、日本の海岸で普通に拾えた貝が見られなくなっているのが現状です。今後、私たちは「貝類とどのように関わっていくべきか?」について展示されていました。

小笠原諸島の陸産貝類が直面する危機
貝類の生存を脅かしているのは、海の環境変化だけではありません。小笠原諸島の陸産貝類は、外来種の影響で絶滅の危機に瀕しています。
小笠原諸島には120種以上の固有の陸産貝類が生息し、その約95%が他の地域には存在しない種です。しかし、人間の活動によって持ち込まれたニューギニアヤリガタリクウズムシという肉食性の外来生物が、これらの貝類を捕食し、多くの種が絶滅の危機に瀕しています。
この問題は、単なる生態系の変化ではなく、人間が関与した結果として引き起こされた問題でもあります。


食文化と貝類の変化
貝類の生息環境が失われることで、日本人が日常的に食べていた貝類にも変化が生じています。
近年、貝類の漁獲量は著しく減少しており、ホタテガイのように養殖が成功している種類を除けば、ほとんどの貝が減少傾向にあります。特にアサリは最盛期の3%以下まで落ち込み、現在では輸入品が市場の大半を占めるようになっています。
また、国内で流通している貝の中には、気づかないうちに外国産の近縁種に置き換わっているものもあります。今や、純国産の貝は非常に貴重な存在となっています。

消えつつある「大きな貝」
かつては当たり前のように見られた大型のサザエやアワビですが、現在では極端に減少しています。
これらの貝は、一生を通じて成長を続けるため、昔は数十年かけて巨大化した標本が見られました。しかし、漁獲圧の増加により、大きく育つ前に採取されるため、今ではこうした「巨大な貝」はほとんど見られません。
過去に収集された貝殻標本は、今では手に入れることができない貴重なコレクションとなりつつあります。

貝類研究の未来
貝類は分類学的に研究が進んでいるように見えますが、実はまだ未記載の種が多数存在しています。
特に、深海に生息する貝類や、サイズが極端に小さい微小貝の研究は、ほとんど手がつけられていないのが現状です。沖縄沖の調査では、1回の調査で45種類もの未記載種が発見されるなど、まだまだ未知の世界が広がっています。
ビーチコーミングの楽しみ
貝類をより身近に感じる方法のひとつに、ビーチコーミングがあります。
海岸を歩きながら打ち上げられた貝を探すことで、貝の種類や海の環境を学ぶことができます。西行や松尾芭蕉も、敦賀湾の色ヶ浜で「ますほの小貝」を拾い、詩を詠んだと言われています。
実際に貝を手に取り、その美しさや多様性を感じることが、貝類への理解を深める第一歩となる。

ビーチコーミングのマナーについて紹介。
貝類収集のマナー
貝類を集める際には、適切なマナーを守ることが重要です。
生きた貝を無駄に採らない
石や岩を動かしたら元に戻す
過剰な採集を避ける
これらのルールを守ることで、貝類と人類が共存し続けられる環境を持することができることがか紹介されています。

本企画展を通じて、貝類と人間の関わりが変化している現状と、未来への課題を紹介されていた。貝類は、ただの食材や装飾品ではなく、私たちの文化や生態系に深く関わる存在であり。貝殻を手に取り、その美しさや多様性を感じることが、環境問題や生物多様性について考えるきっかけになるはずです。
貝類の生物としての魅力と、人間との文化的な結びつきを改めて考え、貝の美しさや神秘性に惹かれる理由が理解でき、自然と人間の関係についても深く考えさせられる展示でした。
また、多くの絶滅危惧種の貝が紹介されている。特に小笠原諸島の陸産貝類が直面する危機はより緊急を要する課題。今回の貝類の展示を通し絶滅危惧種を知ってほしい。
貝類とこれからも長く関わり続けるために、私たちに何ができるのかを考えさせられる展示だ。

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