| HOME | サイトマップ | ヘルプ | 
サイト内検索 Powered by Google
哺乳類 鳥類 魚類 昆虫類 甲殻類 特別版 植物&土壌
貝類 植物 希少標本
展示会レポート 
かはく生物多様性シリーズ第5弾
「あしたのごはんのために
−田んぼから見える遺伝的多様性−」
平成22年9月18日(土)〜平成23年1月16日(日)


2010年かはく”生物多様性シリーズ2010”をしめくくる企画展「あしたのごはんのために―田んぼから見える遺伝的多様性―」が平成22年9月18日〜平成23年1月16日の期間、国立科学博物館日本館1階企画展示室で開催されている。これまで国立科学博物館では国際生物多様性年である2010年にあわせてシリーズ第1弾から4弾まで生物多様性のレベルが異なる3つの概念である遺伝子の多様性、種の多様性、生態系の多様性をキーワードに企画展を行ってきているが、今回は「遺伝的多様性」をキーワードに人類の農耕活動を中心に解説展示されている。「あしたのごはんのために」をテーマにわかりやすく将来の食と農のあり方を考えさせてくれる企画展だ。

今回の企画展の構成は、4つのゾーンからなっている。順に“1・農耕の始まりと広まり”“2・環境変化と農耕”“3・暮らしの中の食と農”“4・あしたのごはんのために”の4つ。ゾーン1ではかつて人類がどのように拡散し農耕が広まっていったかを解説。ゾーン2では、定着した農耕が環境の変化にどのように適応し変化していったか。ゾーン3では日本やアジアを中心にくらしの中でどのように農耕が行われ食文化に影響を与えているかについて展示し、日本国内での米の遺伝的多様性にも目を向けている。ゾーン4では遺伝的多様性が失われることで私たちにどのような影響を及ぼしているか例を挙げ紹介し、遺伝的多様性と未来の食を守るために何が重要であるかの提言がされていた。


会場は日本館1階企画展示室

会場入り口


展示資料では、環境と農耕がかつてどのように関わってきたかを知る資料として、大阪の池島・福万時遺跡からの地層を剥ぎ取り標本を展示。また、現代日本の田んぼ展示と江戸時代の田んぼ、ラオスの焼畑や、西南アジアの麦畑など4種類の田んぼや畑が再現展示され比較し見るこができる。

国立科学博物館と総合地球環境学研究所との共催による企画展

今回の企画展の特徴は、国立科学博物館では初めてとなる総合地球環境学研究所佐藤プロジェクトとの共催による展示になっている。


企画展をイラストとコメントでナビゲートしてくれる先生方

わかりやすいコメントでコーナーのポイントを紹介


このプロジェクトは総合地球環境研究所の佐藤洋一郎先生のグループのもと、農業と環境に関する研究を主にイネとムギとイモの3つの大きな農業の形を研究され、今回の企画展でもアジアにおける現地調査からえられた結果をもとに構成されている。中には調査を記録したノートも公開されパネル展示ではわからない研究者の生の記録を見ることができ当時の様子を知る興味深い資料として展示されていた。


企画展入り口付近からの全景


1 人類史における農耕の拡散とその重要性


ゾーン1では約1万年前以降、私たち人類が農耕を手に世界各地へどのように拡散していったかについて解説されている。

まず人類がアフリカで誕生するのが20万年前、7万年ほど前にはアフリカを旅立ち世界中に拡散していった。その後1万年前までの間に新大陸、旧大陸合わせて住めるところには住んでしまった。このような世界の大陸への広がりを食拡散といい狩猟採取民の広がりについて解説されている。
やがて1万年前よりも新しい時代になると世界各地で農耕が発明され今度はそれを持って広がることになる。ゾーン1のこのコーナーでは、これら人類が世界にどのように拡散していったかを展示し、世界地図上でその移動経路を矢印で知ることが出来る。また、世界にコムギやトウモロコシ、イネなどの穀物がどのように食拡散していったかを比較し見ることが出来た。


コムギ・イネ・トウモロコシの拡散を紹介

生物多様性の異なるレベルを解説


世界の拡散についての解説の後には、日本では、どのように稲作が入ってきたのか展示解説されていた。日本にはイネの野生種は存在しない。また稲作は一般的には弥生時代から入ってきていると考えられているが、考古学的な証拠から、縄文時代にもイネがあったことが知られている。しかし、本格的な水田稲作が行われるようになったのは弥生時代になってからと考えられている。


日本に入ってきたイネを解説

炭化米(福島県筑紫野市隈・西小田遺跡出土、協力:筑紫野市教育陰会)

弥生時代のイネの中には熱帯性の品種があることもDNA分析の結果から明らかになってきている。

今回の展示ではや弥生時代の米として炭化米が展示されていた。炭化米とは、文字の通り米が真っ黒に炭化したものだ。通常炭化は燃焼によって起こされるが、最近の研究で炭化米は土の中で化学作用によって引き起こされたもので、内部構造やDNAなども保持されている。展示されている炭化米(福島県筑紫野市隈・西小田遺跡出土、協力:筑紫野市教育陰会)は弥生時代中期前半のものだ。


またここでは生物多様性には、レベルが異なる3つ概念があることも解説されていた。


世界の大陸への広がった人類と農耕について説明


2 環境変化と農耕

今回の展示解説の特徴だが、各コーナーには展示を担当された篠崎謙一先生・佐藤洋一郎先生方のイラストとコメントが書かれている。少し難しそうな内容でもそれぞれのコーナーのポイントをナビゲートしてくれるので、展示を見られるときはまずこのコメントを見て解説を読むととてもわかりやすい。


環境変化と農耕に関する展示

災害を乗り越えてきたい稲作の知恵パネルで解説


災害を切り抜ける人の知恵と技

まず大阪府東部にある池島・福万寺遺跡の事例を取り上げられている。河内平野では、洪水によって水田が破壊されても、人々によって再建が繰り返し行われてきた歴史がある。
その結果弥生時代以降各時代の水田跡が積み重なって埋まり、その地層は水田稲作の変遷を知る資料として重要な意味を持っている。

今回の展示では弥生時代から平安時代に堆積した地層の断面を剥ぎ取った標本が展示されていた。この地層剥ぎ取り標本は、約5メートル、2,000年分ほどの地層の中から、約2メートルほど剥ぎ取ってた実際の地層を展示している。

この標本からは、堆積構造だけではなく、含まれている土の粒子の大きさや種類を調べることで過去に起こった洪水などの災害の様子などを知る手がかりになるのだ。


池島・福万寺遺跡の地層剥ぎ取り標本

研究者のフィールドノートとして「実測図」も展示されている


しのぎの技 島畠

また、ここでは災害を切り抜ける“しのぎの技”として島畠(しまばた)についての解説がされていた。

日本は、水田稲作の国だといわれているが、実は洪水によって水田はたびたび失われてきたことがわかっている。このことは農業が持続して行われていなかった。では洪水がおこった時に何をしていたかだが現在残っている文書によって知ることが出来る。

大変興味深いので紹介しておこう。まず洪水がおこると砂が運ばれる。その真ん中に砂を積み上げ集めてうねをつくり「島畠」を作っていたのだそうだ。またもともと田んぼができていたところには田んぼが行われ、土が運ばれてうねになったところには綿が作られた。このことは洪水があったから綿が出来たといえる。結果として、洪水がおこっても新しい試みが行われやがてそれがその地方の代表的な作物になるまでになったことを知ることができる。


“しのぎの技”として島畠(しまばた)を紹介

実際に綿も展示されている

池島・福万寺の雑草

次に池島・福万寺遺跡から出土した雑草の種子から当時はえていた種類がリストアップされていた。水田ではさまざまな雑草がはえている。その雑草は水田の作業や周囲の環境により変化し時代とともに変化することが解説されている。
500年前の地層から出てきた雑草の種を知る資料の下には、それら雑草の標本が数点並べられている。農業と切り離せない雑草だが、サンショウモは現在では絶滅危惧種に指定されている植物だが、当時はどこにでもはえていたということがわかる。


遺跡から出土した雑草の種子は当時の環境を知る手がかりになる

植物の標本オモダカ(右端)コナギ(右から2番目)


何が砂漠化をもたらしたか

ここでは、環境の適応に失敗したタクラマカン砂漠東端の小河墓遺跡について紹介されていた。
砂漠の中の墓標にはミイラが埋葬されており、かつてここには村があり麦畑があったことがわかる。ここでは映像展示が小河墓遺跡について詳しく解説されている。


人間の活動が環境に大きく影響することを教えてくれる

小河墓遺跡に関する展示


3 暮らしの中の食と農

ゾーン3「暮らしの中の食と農」では日本全体の収穫高の3分の2近くをたった4種類の米が占めている現状や、休耕田などを紹介。また東南アジアや西南アジアで行われている農耕とはどのようなものか食と農をテーマに知ることが出来る。

まずこのーナーで目立っていたのが田んぼを再現した展示だ。このゾーンでは、「現代の田んぼ」「江戸時代の田んぼ」「ラオスの焼畑」「東南アジアの麦畑」など時代や地域の違う田んぼや畑を再現している。


再現された田んぼ(右)と休耕田(左)の解説

展示ナビゲートは各コーナーのポイントをついている

まず、「現代の田んぼ」では今年稲作されたものが展示されていた。展示されている稲穂はプラスチックで特殊な加工はされているが自然に育てられたイネで、この1坪のブースに並べられている面積の稲穂から取れる平均の米の量はお茶碗12杯分ほどだそうだ。

日本の田んぼのもう1つの特徴に休耕田がある。休耕田は現在では日本の10%が耕作放棄地だ。関東では山梨県が一番多く25%が耕作放棄地になっている。ここでは、とかく農耕の世界で問題視される耕作放棄地について、中世までの農業では当たり前のスタイルになっていたことと、耕作放棄地が多様性の保持機構としての役割を担っていた側面があることについて解説されていた。今では休耕田は悪いものといわれているが実はそうでもないことがわかる。


「暮らしの中の食と農」のゾーン

休耕田が増えている現状

休耕田をそのままにしておくとどのようになるかを紹介したコーナーでは、5年間の休耕田の姿がどのように変化していくかイラストで紹介している。


またこのゾーンでは、展示のところどころに食品サンプルが並べられている。これはさまざまな時代や場所でどのようなものが食べられていいるかをわかりやすくするための展示だ。


食卓のサンプルが並べられている

西南アジアの食卓のサンプル


江戸時代の田んぼと田植え

ここでは水田稲作の形が完成した江戸時代の田んぼの姿をとおし昔と現在の田んぼの違いについて解説している。

100年前の米

まず120年ほど前、愛知県の庄屋の蔵から出てきた米が容器に入れられ展示されている。この中にいろいろな種類の米が混じりあって入っている。このことから当時1つの村ではさまざまな米を作っていたことがわかる。ほんの120年ほど前には米の種が数多く作られていたことを証明する資料として展示されている。


江戸時代の田んぼの解説コーナー

愛知県の農家から出てきた100年前の米

中国と日本の米づくりの比較

次の解説では稲作の作業を表した古い絵図から当時どのような農作業が行われていたか中国と日本の違いについて見ることが出来る。この古い絵図は、17世紀の中国画家焦秉貞(ショウヘイテイ)が描いた「耕織図」と、18世紀の日本画家橘守国が描いた「四季耕作図」だ。

「種もみをひたす図」や「田を起こす図」「田に水を入れる図」「脱こく作業の図」の4つの作業を表す図では、多くの相違点を見ることが出来る。「田を起こす図」では、「耕織図」では水牛を使い、「四季耕作図」では黒牛が使われているなどその違いを見つけることが出来た。


中国と日本の米づくりを比較した展示

使っている牛の種類が違う


水田模型

その横には、中国貴州省興義県出土の後漢時代(2世紀)の水田模型に関わる展示がされている。当時水田模型は副葬品として墓に納められていた。ここからは、ため池と水田が組み合わされており、米を栽培し合わせて魚も育てていたことを知ることが出来る。ここでは復元された水田模型(模型制作:東海大学考古学研究室)が展示されていた。


墓に納められていた水田模型

復元された水田模型を見ることが出来る

江戸時代の田んぼを復元

ここでは、江戸時代の田んぼ(1坪)が復元されている。当時の田んぼにはいろいろなイネが1つの品種として栽培されていたようで、この復元された田んぼにも「亀次」「神力」「十石」の3種を混ぜて当時を復元していた。また1坪の収穫量に関して地域や年によっても変動したが、平均すると1坪あたりの収穫量は0.5〜0.6kgで現在の3分の1かそれ以下だったことが解説されていた。
取材時にはまだすべて実っていなかったが、期間中には田んぼが出来上がる予定だそうだ。


江戸時代の田んぼについて解説されている

再現された江戸時代の田んぼ

江戸時代の田んぼにいた動物

江戸時代の田んぼにいた動物を紹介しているコーナーもある。
ここでのポイントは、当時の田んぼには、これほど多様な生物が多く生息していたということだ、現在では、農薬の散布や用水路の整備などが進み田んぼで見ることが出来る動物はすくなくなってきている。正確な記録はのこってはいないが江戸時代の田んぼとその周辺には、イネの害虫やその天敵となるもののほかにも田んぼをすみかにした動物が生息していた。ここでは、それらの動物を知る標本資料が展示されていた。イネの害虫ではツマグロヨコバエやイネネクイハムシ、コバネイナゴなど、また水の中にすむ昆虫では、タガメやコガタノゲンゴロウなど環境省レッドリストに指定されている絶滅危惧種も見ることが出来た。


江戸時代の田んぼにいた動物

現在では絶滅危惧種になっているものも

江戸時代の食卓サンプル

ここでも江戸時代の食卓のサンプルが展示されている、この元になっているのは山城国上津屋村(現:京都府八幡市)の庄屋が記録した「伊佐家文書」を元に食品サンプルとして再現し展示されていた。


江戸時代の食品サンプルの解説

「伊佐家文書」を元に再現された食品サンプル

東南アジアの焼畑

東南アジアの農耕のコーナーでは、ラオスの焼畑について紹介している。焼畑とは森を切り開き、火をつけて木々や草を焼いて畑にすることだ。ラオスの農耕と日本の農耕の違いは、イネを水田で栽培しているか、畑で栽培されているかの違いがあるそうだ。また前述の水田で栽培することを水稲(すいとう)といい畑で栽培されることを陸稲(りくとう)と呼ぶが、ラオスでは現在でも、焼畑での陸稲栽培が盛んで、独自の文化や風習をもった少数民族が古くから伝わる農耕儀礼を行いながら多種多様なイネの在来種を栽培することで、ラオスのイネの遺伝的多様性は維持されていることが紹介されていた。


東南アジアの農耕のコーナー全景

研究者のノートには現地調査での発見などについて書かれている


ラオスの焼畑(1坪)が再現されている。

1〜3年ごとに別の場所に移動するシステムで、畑だったところはふたたび森に還っていくのだそうだ。また、土地条件や用途に合わせて早稲・晩稲・白米・赤米・黒米・脱粒性(穂からのもみの外れやすさ)の違うものなどさまざまなイネを栽培している。この1坪あたりの収穫量は約0.99kgであることも紹介されていた。


ラオスの焼畑(1坪)の再現

独自の文化や風習をもった少数民族について紹介

西南アジアの麦畑

これまでは米についての解説がされていたが、ここからはパンやお菓子の原料である麦を主体にした農耕の話になる。

麦による農耕は東アジアからヨーロッパまで、広大な地域で行われている。この農耕では、コムギやオオムギなどの麦類といくつかの豆類が栽培されていることが解説されている。また麦類は種子が堅くそのまま食べられないので粉状にしたものを水で練りパンなどにして食べるため、いくつもの「種」が同じ畑に栽培されていても問題なく農耕できるのだそうだ。

西南アジアの麦畑再現(1坪)

ここではエンマーコムギの畑が再現されていた。
畑の中には穂の形の違うエンマー品種のほかに、スペルタコムギやライムギ、それにタルホコムギなども混じっている。
タルホコムギは雑草で、この小麦が何千年かの時代をへて畑で交配したのが今私たちが食べているパンコムギでここでは現地の畑を参考にして復元されていた。

また1坪あたりの収穫量は気候によって大きく違うが約0.2〜0.4kgほど、現在日本での収穫量が1.2kgほどなのでいかに貴重なものであったかわかる。


西南アジアの麦畑再現(1坪)

コムギの進化と小麦製品についての解説


浮稲の成長

今回の企画展では、浮稲についても紹介されていた。東南アジアや、アフリカ西部、南米アマゾン川流域など雨が多い地域では雨季が終わるころ洪水が発生する。日本の洪水とは異なり日に数pずつ水位が高くなるため、浮稲も茎をのばし生きのびるのだそうだ。日本のイネではそうはいかない。ここでは日本のイネとどれくらい違うか浮稲と共に並べられている。水位とイネの成長の違いを比較することで地域によって使われれいるイネの種類の違いがひと目で確認できるのではないだろうか。


浮稲の解説展示から見た会場全景


お米の基礎知識


ここでは知ってそうで知らないお米の基礎知識を知ることが出来る。
まず、もみからどのような段階をへて白米になるか、もみ殻や玄米、ぬかなどが手にとって確かめる形でそれぞれの段階を見ていくことが出来る。

ジャポニカ種とインディカ種

現在世界で作られているイネは大きくジャポニカ種とインディカ種にわけられる。ジャポニカ種は日本や韓国、東南アジアなどで栽培。インディカ種は中国南部からインドにかけて広い地域の平野部で栽培されている。その特徴は、私たち日本人が食べているジャポニカ種は、柔らかく粘り気がある。逆にパサパサした食感を持つものがインディカ種が多いのだそうだ。これに当てはまらないものもあるので一概には言えないとしながらもそれらの特徴があるのだそうだ。


お米の種類について解説している

イネからお米へと変化していく順序を紹介


田んぼの遺伝的多様性

ここでは日本の米を例に、遺伝的多様性について解説されている。

明治以来日本の米の生産量は肥料や農薬の開発、品種改良を含む技術の進歩で3倍にもなった。しかしその一方で、品種や里の景観の単一化などの現象が起きていることが解説されている。その結果「コシヒカリ一辺倒」と呼ばれるように、遺伝的多様性が著しく低下させ、稲作の技術や文化、また米の食文化の多様性をも失っていることについて紹介されていた。

またここでは4,000種と80種がキーワードになっていた。

展示のパネルでは4,000粒の米粒の写真が展示されている。この4,000という数字は明治12年の政府統計のあった米の品種の数。実際に4,000種の米粒を撮影しているわけでは無いそうだが、かつての日本ではどれほど多くの種が作付けされていたかが容易にイメージすることが出来た。


田んぼの遺伝子的多様性を視覚的に見ることが出来る

4,000もの粒がびっしりと並べられた写真


次に88種について、これは平成19年の栽培面積が500ヘクタール以上ある米の品種が88種しかなくなってしまったことをさしている。ここでは、わずか100年あまりの間に私たちは4,000弱の品種を失ったことがわかる。


また現在米の品種は88種、そのうちのトップ5で全体の3分の2を占めておいて、さらにそのトップがコシヒカリだそうだ。また下位のものもコシヒカリの子であり、いかに多様性が乏しいかがわかる。ここでは系統図が展示されており、いかに狭い範囲で交配が行われているかがわかる。


米の多様性がどれだけ乏しくなってきているか知ることが出来る

わずか88種になってしまった米の品種(赤い囲い)

食の現状

その後ろには昭和40年には1年間に大人が150kgの米を食べていたが現在では60kgまで減らしその食文化の変化を知ることが解説されている。このように現在の私たちは米を食べる量を減らし4,000種弱の品種も失ってしまったということがいえる。


食の現状を紹介する展示

農業の現状を紹介する展示
農業の現状

ここでは、現在の農業の現状を紹介している。
現在の農業の現状は後継者がなく休耕田が増えている事など総体的に見て日本の農業はきわめて危険な状況にあることが解説されていた。


4 遺伝的多様性を失うと

ここからは生物多様性が失われていくとどうなるかということが解説されている。

身近なところででは、1993年の冷夏によるコメの被害について解説されていた。一部では天災といわれているが、これは遺伝的多様性が失われことにより気候の変化に対応できる種がなかったことによる原因であることが説明されている。もしもっと品種が多ければ防げたかも知れない。

そのほかアイルランドで1845年から始まった大飢饉には1945・1946年に蔓延したジャガイモ疫病が主食であるジャガイモを直撃し、飢饉により約100万人が餓死した歴史なども紹介され、いかに遺伝的多様性の低下が社会に影響を及ぼすかについて解説されていた。


遺伝的多様性が失われたことによる災害の事例

世界各地で影響を与えていることを知ることが出来る



遺伝的多様性の回復

ここまで多様性がなくなると私たちの社会にどれだけ影響を与えるかについて紹介されてきたが、このコーナーでは、日本各地でおこなわれているさまざまな遺伝的多様性を回復する取り組みが紹介されている。
その中でも各地で行われている米の品種をつくる動きについて「土地や文化に応じた品種をつくりたい」「化学肥料や農薬の量を減らしたい」など、それぞれの活動で目標となるものは違うが、これらが実を結べば結果として遺伝的多様性が守られ、災害や環境の変化にも対応しやすくなることが期待されている。


”あしたのごはんのために”コーナー全景

遺伝子的多様性を回復するための取り組みについて紹介している

農業の果たすべき役割

今回の企画展の最後には、私たちが食べている栽培植物は、多様性にとんだ田んぼや畑で育てられ、同時に多様な文化をもたらすものであった。しかし、品質が似通った少数の品種を大量に生産される田んぼや畑からは遺伝的多様性は失われ、そして暮らしの多様性をも失いかねない。しかし私たちが、昔の農業を見直し継承していくことで、遺伝的多様性を次世代に継承し、地域ごとに自然に寄り添う暮らしを実現するすることができ、それこそが農業の持つ可能性であり農業の果たす役割であるとのメッセージがあった。


感想にはお米の大切さをあらためて考えたといったコメントが多かった

イネの草丈の多様性を知ることが出来る展示


5 企画展を担当された総合地球環境学研究所教授 佐藤洋一郎先生にお話しをお伺いしました。

 −米の多様性についての展示の中でかつて4,000種近くあった米の品種が、現在では88種までその種数を減らしてしまった原因というのはなんでしょうか。

多様性がなくなってしまったプロセスは3つあります。

1つは軍隊が関係しています。
明治、米の品質を統一化というのが国策としてはかられていました。その時、米粒や品質について強い統制がはかられたんです。
その一番統制をかけたのが軍だと思いますが、そのよう歴史的背景のものと明治の初めには強い力が加わっていると思います。

2番目ですが、これは大正以降、特に昭和以降になって品種改良が始まりました。その時代の品種改良の目的は多収です。たくさん獲るということですね。それでたくさん獲るために何をおこなったかというと、イネだけではなく麦も含めほとんどの穀物が背を低くするという品種改良が始まるんです。
その時に背の低い品種を選んでそれを片親にして交配するという品種改良が進むんですね。
そのときの背の低い品種というのは限られていますから、特定のものだけが交配の親に使われました。

続いて3番目に、これは、米の自由化にも関係しますが、旨い米は無いかということでコシヒカリというものが登場しました。さらに輪をかけたのが農家にとってコシヒカリが売れるというインセンティブは大きかったと思います。
米を1割収穫を上げることは大変なことです。それが2割3割値段の高い米を売ることは収穫を上げるよりも簡単なことです。
そうすることによって農家はその値段の高い米をどんどん植えるようにし、それが最後の引き金によってコシヒカリ一辺倒になってしまって加速してしまったということです。私は、このような3つのプロセスで数が減ってしまったと思っています。

それから、新しい試みついては、最近はいろんなNPOの方々が、たくさん肥料や農薬は使わない傾向にあります。それらを背景に、さまざまなところで自分達のマイ品種を作ろうという動きが活発におこっています。

そこからは自分達の地域の中で新しい品種を掘り起こしたグループであるとか、コシヒカリもそうですけれども彼らも、経緯は違いますが新しい品種を手に入れています。
そのように手に入れた新しい品種は自分達の土地にすごく合うことがわかってそれを植えるようにしました。
国の力は借りずに、品質管理から水質管理からすべてを自分達でやってしまおうというグループが出て、いろんな新しい取り組みが各地でおこなわれています。

多様性の問題でよく誤解されることは、その存在が失われるとすぐ病気などが発生するかのように思われていることです。それは必ずしもそうではない。ただリスクが高まるということは事実だと思います。

ここで言いたいことは、そんなことしているといつか何かがおこるよということです。そのようなリスクを回避するには多様性を高めていくことが重要なわけです。そのような観点から言うといろんな種類のお米をいろんな方法でつくるというような取り組みを復元することは大事です。
ただ、それじゃ江戸時代や明治時代に回帰したらいいのかというとそれはやっぱり出来ません。そこは、現代の技術をもって何かを考える。それは技術的な問題ですから、より多くの方に考えていただき私たち自身も考えていかなければいません。

またこのような問題を考えると世界的に食料難の時代に日本だけよければいいのかと必ず一方で思う方もいるかも知れません。

これは私の考えですが日本は日本の事に責任を持つということが非常に重要です。外国のものを買いあさっているというのはやはり環境負荷のことを考えるといいことでは無いのです。環境負荷を小さくする意味でも外国のものを回避するしていく事は重要なことではないかと思います。


展示解説中の佐藤洋一郎先生

お米をさまざま方法で作る取り組み

−とお話頂きました。

企画展を担当された国立科学博物館 人類研究部人類史研究グループ長 篠田謙一先生に今回の企画展についてお話しをお伺いしまいた。

−常設展でもイネに関する展示があると思いますが、今回の企画展ではどのような点について工夫をされていますか。

常設展でもイネの展示がありますので、イネの部分での差別化は難しいのですが、地球環境プロジェクトというのはイネとムギとイモと焼畑という4つの大きな柱があります。それらを取り上げるという形で1つの展覧会にしようというのが今回のコンセプトなんです。

そのような意味では、イネ単体とはちがう視点でより詳しく見ていただけるのではないかと思います。企画展を一般の方に見ていただくときのキャッチとしては、田んぼ、ごはんというのは日本人にとって身近に感じることが出来ます。そこで、今回の企画展でもそのことを全面にだし「あしたのごはんのために―田んぼから見える遺伝的多様性―」というタイトルになっています。


−最後にかはく生物多様性シリーズを締めくくるこの企画展を通してお伝えしたいことがあればお聞かせ下さい。

私自身、農業の専門ではありませんが、かつての人類は新しい野生種から栽培種を作っていきます。その中でさまざまな品種ができているんですが、これは全部田んぼと畑の中で出来ているんです。

多様なものを畑や田んぼの中で植えていることで、その中で交配がおこって新しいものが生まれ、新しいものの中からいいものを選別するという形で私たちは恩恵を受けているんです。

しかし今のように、田んぼの中で同じものだけを作っていると新しい品種は絶対に出てきません。
現代の田んぼでは新しいものが出てこないシステムを作ってしまっているんです。
とするとそれに変わるものとして遺伝子工学などの研究が行われます。それは一方で正しい部分はあります。
しかし、人類が何千年をかけてやってきたことの意味はあるはずです。
ですからこの状況をなくしてしまうというのは今後家訓を残してしまうことになりかねないなというのを感じました。

企画展の最後に過去のやり方を上手く取り入れながら新しいものを生んで活かしていこという発想でいろんなプロジェクトが紹介していますが、あれがやっぱり本当の姿では無いでしょうか。

農業生産物というのは工業生産物とは違うんです。デザインして計画して作っていくというのが破綻しているはずなんです。しかし現代の農業は必ずそっちの方向に向かっていますね。ともすると工場の中でライトを当てて作るという時代です。しかしそれは今までやってきたこととはまったく違います。今までのものを何らかの形で残していかないと私たちが想像も出来ない大変なことがおこるのではと思っています。

かつての農業は新しいものを生み出せたんですね。そのようなシステムだったんです。そのシステムが近年で変わってしまったということをどうとらえるかということが重要であると思います。

見ていただく方にも、そのようなところに気づいていただき、そこから私たちは何をしなければいけないかということを考えていただければと思います。ただ、せせこましいことはいいたくは無いんですが、あしたのごはんのために見ていただいて感じていただいて考えていただいただければという点に重点をおいています。


国立科学博物館 人類研究部人類史研究グループ長  篠田謙一先生

メッセージの掲示板には見て感じたことが書き込まれていた

−とお話頂きました。

今回取材にご協力いただきました国立科学博物館 人類研究部人類史研究グループ長 篠田謙一先生、総合地球環境学研究所教授 佐藤洋一郎先生はじめ本企画展に関われました関係者の皆様に取材のお礼を申し上げます。


かはく生物多様性シリーズ第5弾
「 あしたのごはんのために
        −田んぼから見える遺伝的多様性−」


開催場所:国立科学博物館 日本館1階企画展示室
開催期間:平成22年9月18日(土)〜平成23年1月16日(日)
休館日:毎週月曜日・10月12日・12月28日〜1月1日・1月11日ただし9月20日・10月11日・1月3日・1月10日は開館
(詳しい休館日は博物館ホームページを確認ください。)

入館料:一般・大学生/600円(団体300円)高学生以下無料 ※()内は20名以上の団体料金

主催 国立科学博物館 総合地球環境学研究所

展示資料
トップ | ご意見 | ヘルプ

Copyright(c)2006- a specimen room. . All Rights Reserved.